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【イベントレポート】10日間会話が出来ない? インド最古のヴィパッサナー瞑想とは

昨今、再び世界中の人々が注目する「瞑想」。情報化が進む現代社会から離れ、自分自身と向き合う内省的な時間だ。

「生きる」とはなにか。「死」とはなにか。「自分」とはなにか。人間が抱える心の汚濁とはなんだろうか。そして、究極の幸福、解脱とはどんな状態だろうか。忙しい日々の中で、こんな問いが浮かんでは消え、浮かんでは消える。そんな切実な問いに10日間向き合うことによって見えてくるものはなんだろうか。

今回私は、多様な思想や民族、宗教が入り混じるアジアの急成長国家、インドを訪れ、ヴィパッサナー瞑想(Vipassana meditation)を体験してきた。この記事では、そのイベントレポートをお届けする。

2500年の歴史を誇る瞑想法。参加費は0円

ヴィパッサナー (Vipassana)は、物事をありのままに見る、という意味です。インドの最も古い瞑想法のひとつで、2500 年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見され、普遍的な問題を解決する普遍的な治療法、 生きる技として、多くの人に伝えられました。 宗教とはかかわりをもたないこの技は、あらゆる心の汚濁を取り除き、解脱という究極の幸福を目指しています。

Vipassana瞑想HPより引用

ヴィパッサナー瞑想に参加するためには、事前に予約する必要がある。場所や時期によってはキャンセル待ちになるため、早めにするとよい。予約が完了すると、メールで詳細が送られてくる。

瞑想コースは、一年中開かれており、どんな人でも参加可能。センターと呼ばれる瞑想施設は、インドをはじめアジアやヨーロッパ、アメリカ大陸など世界中に展開し、多様な人々に開かれている。私が体験したインドのコースにも、日本、カナダ、イスラエル、チリ、フランス、ドイツなど様々な国から、多様なバックグラウンドを持つ人々が参加していた。

じつはこの10日間の瞑想、参加費は0円だ。これは、経済的な理由で参加できない人にも平等に機会を与えたいという運営側の強い気持ちの現れである。また、このコースは、営利目的ではなく、瞑想を通じて生きる技や恩恵を得た参加者が次の参加者に機会を提供したいと思う、その善意の寄付によって成り立っているという。(参加予約はこちらから。)

会話は一切NG。1日10時間の瞑想とは

2017年3月。私は、インドはプシュカルにて10日間の瞑想コースに参加した。説明や指示はヒンディー語と英語の両方で行われた。まず、衣服以外の荷物をすべてスタッフに預ける。スマートフォンやパスポート、現金もだ。コースの途中辞退は認められず、誓約書にサインをした時点で、瞑想修行に取り組む義務が生じる。

さらに次の事柄も守るよう指示される。

1.  生き物を殺さない
2.  盗みを働かない
3.  一切の性行為を行わない
4.  嘘をつかない
5.  酒・麻薬の類を摂らない

この10日間は「聖なる沈黙」と呼ばれ、いかなる会話も認められない。コースが始まった瞬間から、一切の会話と自分勝手な行動が制限されるのだ。休憩時間や食事の時間でさえ、目を合わせることも禁止される。理由は、他人との接触によって雑念が生まれ、瞑想に支障をきたすからだそうだ。

さらに男女のエリアは区分けされ、一切の接触が禁じられる。一日のタイムスケジュールは厳密に決まっており、施設外へ出ることもできない。

公式発行PDFより転載

スケジュールを見てわかるように、朝4時に起床し、夜の21時に寝るまで、瞑想時間は10時間を超えている。現代人にとってこんなにも自分自身と向き合う時間は滅多にない。

瞑想は基本的に大きいホールで行う。様々な人々と同じ部屋で何時間も瞑想に没頭する。瞑想といっても座り方や、姿勢が決まっているわけではない。各自好きな姿勢で座るのだが、横になることは許されない。だいたい8割の参加者が胡座をかいていた。

同じ体勢でただ、座り続ける。体は悲鳴を上げはじめる。足は痛みだし、腰が痛くなる。肩が重く、疲れで呼吸は乱れる。そのうち、自己観察どころか自分の体調が気になって全く集中できなくなる。汗が滲んでくる。周りからもゴソゴソと体勢を変える音が聞こえてくる。言葉は伝わらなくても、考えること、感じることはおそらく一緒だ。そして、再び、足が痛み始める。

それでもまだ、30分しか経っていない。

過酷なヴィパッサナー瞑想。しかし参加者の中には2度、3度目の参加だという人や、5度目の挑戦という猛者もいた。ルールの厳しさと非日常体験が参加者を虜にするのだろうか。

食は人々を幸せにする

瞑想の時間が終わり、休憩時間に入ると、水を飲むことやトイレに行くことができる。娯楽は何もなく、出来ることは、自分の部屋で瞑想するか散歩するかくらいである。

毎日朝食と昼食が提供される。夕方のおやつタイムでは、ティーや軽食も楽しめる。料理はベジタリアン向けの菜食料理。ごはんやナン、スナック、日替わりでカレー風味の煮物やフルーツ、野菜などが振舞われた。飲み物はホットミルクや、チャイティーを飲むことができる。

最終日の昼食。ご飯は日本のものと違い、少しパサパサしている。カレースープとの相性◎

健康的なメニューであるし本場のカレーを味わえるのだが、毎日メニューが変わらない。日が経つにつれて、段々と日本食が恋しくなってくる。とはいえ、食事の時間になると参加者は、ひたすら続く瞑想から解放され、こぞって食堂へと向かう。食は、全世界共通の「人が幸せになる行為」だ。

瞑想中の心の変化

毎日瞑想を続けていくと、1日の流れにも慣れてくる。朝4時起床。瞑想。朝食。瞑想。昼食。瞑想。休憩。瞑想。説明・指示。瞑想。入浴。夜9時就寝。

食事以外はほぼ瞑想なので、体や思考が順応してくる。足や腰の痛みは徐々に引いていき、呼吸も落ち着いて専念できるようになる。個人差はあるだろうが、他の参加者も同様に体の変化を感じていたのだから驚きだ。

まずはじめは、自己観察として呼吸に焦点を置いた瞑想を行う。自分自身を観察していると、様々な疑問が沸き上がってきた。

自分とは何か?
そもそも、なぜ自分というものを定義しなければならないのか?
本当に自己観察できているのか?

開始直後は様々な思念や感情に支配される。今までの人生。学校。仕事。人との出会い。手に入れてきたもの、失ってきたもの。まるで、自分の歴史を一本の映画にして上映しているような感覚。当時の自分に問いかけてみる。

なんで、あんなことをしたの?
なんで、あれができなかったの?

客観的に振り返る今の自分と、当時の自分との対話は、果たしてインタラクティブな関係性なのだろうか。とにかく、時間はたくさんある。とめどなく、溢れる記憶。人の心は想像以上におしゃべりで、いつも勝手に動き出している。何も考えてはいけない。そうだ、何も考えないようにしよう。この繰り返し。時間はどんどん過ぎて行く。全く会話することのない周りの参加者は何を思い、瞑想に取り組んでいるのだろうか。

5日目には瞑想の方法が変わる。呼吸のみに集中して行う瞑想法から、体全身の感覚に集中するものへ。指導者の説明を聞きながら、頭の先から足の指先まで少しずつ感覚を確認していく。実際に起こる体の変化を捉えることが重要になる。寒い、暑い、軽い、重い。これら体の表面の感覚をただ観察する。意図的に、反応せず観察のみを行う。目の前に現れる事実を把握し観察することで、真理に近付くからだ。

人間は何かを感覚すると、無意識に反応する。例えば、痛みが走った時、逃げようとする。なぜ痛みが起こっているのか、その理由を推測、解明して、薬を飲む。苦痛から自分自身を遠ざけるために、考えて行動する。

他のケースも考えてみる。あなたが好意を抱く人がいるとする。その男性、もしくは女性は憧れであり、安らぎとなる。もっと近付きたい。手に入れたい。食事に誘ってみたり、連絡を取ってみたりする。自分自身の欲求を満たそうと、考え、行動する。

前者のケースは、「嫌悪」と呼ばれる。嫌いなものを遠ざけようとする働き。対して後者は「渇望」と呼ばれる。好きなものをもっと近づけようとする働きだ。これらの反応は、心を貧しくさせるのだという。嫌悪によって、自分以外を認めない人格になる。果ては自分すらも認めない状態に。渇望によって、すべてを求め続ける人格になる。現状に満足せずに、次から次へと自分の欲求を満たす状態に。

個人の反応を嫌悪や渇望に委ねることによって、他人にまで悪影響を及ぼす。社会での人々の関係性はこういったことにより破壊する危険性をはらんでおり、人は、人間的な生き方から離れてしまう。自分の感覚に支配されずに、一切の反応を行わないことが、より人間らしい生き方だ。つまり、観察すること。実際に起きている事象から目を背けずに、ただ見つめ、理解する。この状態を極めた者が、真理に達することができるのだ。

このような思想は、夜に開かれる講座で聞くことができる。

8日目からは、更に深く自分自身を観察するため、個室での瞑想修行もはじまる。10日間とことん瞑想修行に没頭した。

10日間の瞑想を終えて

10日目の昼、ようやく参加者たちは「聖なる沈黙」から解放された。持ち物は返却され、コミュニケーションもできるように。印象的だったのは、参加者のほとんどが一斉に家族や仕事先に電話を掛けはじめたことであった。泣きながら、声を震わせながら、恋人に感謝の気持ちを伝える人もいた。わたしたちが話すことを制限されたのは、たった10日間だ。しかしその間、たしかに、話すという行為の価値を再確認していた

「どこから来たの?参加は何回目なの?」
「3日目がつらかったよね。いや、8日目だったかな」
「家に帰ってからも、これから毎朝1時間瞑想を続けたい」
「仕事は何をしているの?歳はいくつ?」
「理論的なことは分からなかったよ。でもね、この10日間は僕の人生でとても重要なものになったと確信できるね」

蓋を開けてみると、今回の瞑想には、本当にさまざまな背景の人々が集まっていた。有名音楽プロデューサー、ヨガの教師、自然愛護団体の会員、学生、仕事を辞めたバックパッカー。宗教観もそれぞれだった。一度も会話がなかったとはいえ、10日間一緒に修行したことで一気に参加者同士の距離が縮まったように思う。

最終日に参加者と取った一枚

私自身は、現在インドから帰国し、日本で元の生活を続けている。人間は忘れやすい生き物だ。インド渡航前と比べて、私自身の生活や考え方が変わったかと問われれば、劇的な変化はないというのが本音である。しかし、忙しい日々の中で、自分自身について深く考えるきっかけになった。

今日も瞑想を通して、人々は自分自身を問い続けている。


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