Opinion

感覚は33種類もある。哲学者が語る、ミステリアスな「感覚観」

感覚とは何か。まじめに考えたことがあるだろうか。ある意味では、考える必要もないほど私たちに身近なものと言える。

しかし、実は灯台下暗し。私たちは感覚のことを何も知らなかったのかもしれない。

この記事では、Aeonで公開された「感覚」についての現代の哲学者へのインタビューを紹介しながら、改めて感覚について思考してみたい。

(動画は記事下に転載している)

33種類もある人間の感覚

感覚と言えば、私たちは「五感」を持っている、という考えが一般的だ。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、合わせて五感である。

「第六感」というと超人間的なことを思い起こさせることからも分かるように、普通の人間が持っている感覚はただ5つだけだと思われている。

何を今更、と思われるかもしれないが、それもそのはず、この考えは2000年以上も前の哲学者アリストテレスが提唱したものだ。そしてそれ以来ほとんど変わることがなかった。アリストテレスの分析がそれほどに素晴らしかったのだ、という見方もできるかもしれない。

しかし少なくとも、現代の神経科学者や哲学者たちたちはそうは考えていないようである。彼らの見ている感覚の世界は、実は「五感」だけの世界よりもずっと豊かでミステリアスなものだ。

さて、私たちも一度これまでの常識を忘れて、感覚の世界に沈み込んでみよう。

たとえば、飛行機に乗っているとしよう

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改めて、五感とは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つである。
これだけで、私たちの体験を説明することができるだろうか。

インタビューの中で、次のような例えがある。

たとえば、私は飛行機に乗っていて、離陸を待っている。私の席からは機内の通路や席、他の乗客が見えているだろう。

そして、飛行機が徐々にスピードを上げ、離陸をした。私は飛行機が上方に向かって傾いているのを感じている。

しかし、このとき私の五感に何か変化はあっただろうか。飛行機と一緒に私の席も傾いているのだから、視覚から入る情報は変わらない。傾きを聴覚、嗅覚などの他の五感で感じている、ということでもなさそうだ。

では、一体どのような「感覚」が、この傾きという情報を得たのだろうか。

それはいわゆる「バランス感覚」だ。私はこの傾きを感じているのは、五感以外の感覚を用いてである。

インタビューに答える哲学者バリー・スミスは、こうしたバランス感覚のような五感以外の感覚は、他にもたくさん存在しているという。その数は、およそ22〜33種類ほど。古典的な「五感」をはるかに越える数である。

「共感覚」は当たり前

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「共感覚」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
視覚が音で聞こえたり、触覚が色として感じられたりする、いわゆる五感の区別を飛び越えて同時に感覚される現象のことである。
そしてこれは、一種の特殊能力のように考えられることが多い。

しかし、実は「共感覚」は一部の特殊な人たちだけのものではない。
スミスによれば、共感覚は人間の当たり前の現象なのである。

たとえば、ミントを味わう経験。そこには、すーっとする味(味覚)や清涼な香り(嗅覚)だけでなく、不思議なことに、冷たい質感(触覚)が伴っている。
どうしてミントは熱いのではなく冷たいのか。それは舌に乗せたミントの実際の温度とは無関係である。(ホットミントティーであってもそこには「冷たさ」があるのだ)

数字を見て色が見えるという人がいるように、私たちはミントを味わうときに冷たさを経験しているのである。

あるいは、「高い」という言葉の幅の広さについて考えてみても面白いだろう。

私たちは、位置の高さ(視覚)、音の高さ(聴覚)、あるいは考えや人柄の崇高さ(どのような種類の感覚だろうか)など、様々な感覚について「高い」という言葉を使っている。
興味深い点は、こうした「高い」という言葉に関するイメージは異なる言語でも大抵似通っていることである。

もしそれぞれの感覚が全くバラバラであったら、こうしたことは起こらないだろう。

その場合、「位置の高さ」と「高い音」は全く無関係なのであって、同じ言葉を用いて描写することには全く必然性はないはずだ。

しかし、私たちはとても自然に複数の感覚を同じイメージや言葉で語るのである。

本当は、感覚は数えられない

スクリーンショット 2017-01-04 13.03.46感覚は私たちが考えているよりずっと多くある。
そしてそうした多くの感覚同士は、ミントの経験のように分かちがたく、相互に結託し合っている。

このような考えを受け入れるならば、もはや感覚の「個数」を数え上げることに本質的な意味はないかもしれない。
ミントの経験は、味覚の経験だけで説明し尽くされてしまうものではなく、いくつもの感覚が「ひとつの経験」となって私のもとにあるのだから。(もしかしたらミントの経験には運動感覚も作用しているかもしれない。)

このような経験を考えてみると、感覚を五感だけで語ろうとするのがいかに難しいことかが分かるだろう。

感覚は、私たちに身近なものであるにもかかわらず、実はあまりよく知らないかもしれない。
コーヒーカップに手をのばすとき、音楽を楽しんでいるとき、このミステリアスなインターフェースに目を向けて(耳を傾けて)みてはいかがだろうか。

 

 


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