Opinion

人間はもはや動物ではなくなる。クリーンな肉がもたらすものとは?

食べることは命をいただくこと。「いただきます」の言葉の中に、私たちは祈りを込めてきた。

食し食される生き物たちの連鎖。そうして循環する世界。太古から受け継がれるこの世界観は、私たちもまた動物に過ぎないという諦観を含んだ人間理解と共に、大地への帰属意識を喚起させてきた。

しかしこの価値観が、新しく登場した技術によって揺らぎ始めている。

Photo  by  Tyson Dudley

人工肉というあらたな物質

肉を食べるという行為は、常に残酷さを伴っている。シェイクスピアが『ヴェニスの商人』で描いたように、血を流すことなく肉を得ることは不可能なのだ。

photo by Natalie Ng

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しかし現代の技術は、シェイクスピアの劇的なパラドクスを乗り越えようとしている。一滴の血も流すことのない肉、言ってみれば血を通わせた経験のない肉が登場し始めているのだ。

そうしたクリーンな肉のひとつは、動物以外のタンパク質、主に大豆やアマランサスといった植物から合成した「代用肉」である。代用肉が模しているのは、肉の食感やその栄養素といった肉を食べる経験であるが、それは肉ではない

代用肉の研究はすでにかなり進んでおり、ハンバーグ一枚が300円程度で食べられる程度にまで実用化している。ビル・ゲイツが支援するImpossible Foodsも代用肉を扱う会社だ。ここでは完全に植物性の肉とチーズを作っている。(参照:MAKE IT.

また、さらにラディカルな肉の代替も存在する。「人工肉」と呼ばれる物質である。あえて物質と呼ぶのは、それがいまだかつてカテゴライズされたことのない新しい存在だからだ。人工肉は、研究室の巨大なバイオリアクター(生物反応装置)の中で、肉の幹細胞を培養して作る物質だ。つまり、人工肉は動物の肉と同じ構造を持ち、ある意味肉そのものなのである。(参照:NEW HARVEST  )

しかし、動物の肉とひとつ大きく異なっている点がある。それは、人工肉も生きた経験のない肉ということだ。この物質は肉と同じものでありながら、本質的に全く異なった存在である。つまり、それを食する行為にはもはや残忍さはない。

この分野の研究は世界中で精力的に進んでおり、人工肉を専門とした企業も存在するほどである。

変容する倫理観。食は「いただく」ものではなくなる

代用肉や人工肉。こうした技術の進歩によって、私たちが得るメリットは非常に大きい。環境負荷の重い家畜の肉に対して代用肉の生産効率は遥かに高く、人工肉にいたってはエネルギー効率が最大10倍以上高い。

しかし、人工肉のような新しい食品によってもたらされるのは、単なる効率性だけではない。食に対する倫理観の変化も付随してやってくることになるだろう。

ある人はこの技術を「倫理的」だと考える。その大きな理由は、動物倫理という視点だ。人工肉が一般的になれば、動物は劣悪な飼育環境や残酷な屠殺に苦しむ必要がなくなるだろう。動物への配慮からベジタリアンを選択してきた人もいるが、彼らもまた人工肉ならば問題なく食べると言うかもしれない。

他方で、人工肉の倫理性に眉をひそめる人も少なくない。彼らはこうした技術が人間の万能感に拍車をかけるのではないかという憂慮を持つ。たしかに人工肉は、人間が人間の能力によって他の動物に迷惑をかけずに作ったものだ。

しかし同時に、こうした「自活」の理念は人類の無限の拡大を正当化する理由になりうるのだ。自分自身が生きるための食べ物を無限に生産し続けることが可能になれば、もはや人口がどれほど増えようと人類の勝手だ。

地球にも動物にも迷惑をかけないので、恩義もまたなくなる。今まで私たちがしてきた、食前に感謝を込めて手を合わせる必要はもはやなくなるだろう。こうして食に伴う残忍性の円環から解放された人間は、地球や他の生命との関係を失うこととなる。

「倫理」という概念は、多くの異なる層と視点を持つ。人工肉という解法は一面では非常に倫理的であるが、広く「人間のあるべき姿」という意味での「倫理」という言葉に果たして適うものだろうか。