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「とりあえず英語」の時代は終わった。ルクセンブルクから学べることとは?

ベネルクス三国という言葉を耳にしたことはあるだろうか。ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの三国を合わせた名称で、EU(欧州連合)の前身といわれている。その中でも一番小さい国、ルクセンブルク。神奈川県よりも小さな面積で、ヨーロッパの中心に位置する。筆者はそこで育ったルクセンブルク人である。

この記事ではまずルクセンブルクがどんな国かを紹介し、そこからグローバル化のあり方を考察したい。

買い物ではボンジュール、職場ではグーテンタークの日常

まずはルクセンブルクという国を紹介したい。

もともとルクセンブルクは石炭・鉄工業が中心であったが、現在では三菱東京UFJ、みずほ銀行というメガバンクや楽天のヨーロッパ支店が位置し、一気に金融大国となった。国の労働力だけでは人手不足が生じるため、周辺国の人が毎日ルクセンブルクへ出稼ぎ通勤をしている。これも国境がほぼなくなり、移動が自由になったEUのおかげだ。筆者もドイツでの大学時代、週に数回車でトリーアからルクセンブルクに働きに出ていた。

ルクセンブルクの公用語はルクセンブルク語である。しかしルクセンブルク人口の46%は外国人なので、フランス語やドイツ語、ポルトガル語や英語を話す人口が圧倒的に多い。

こんな多言語国家ルクセンブルクでは、小さい頃から外国語を習う。多くの子供達は家族とルクセンブルク語で話すが、小学校一年生からドイツ語、三年生からフランス語、その後に英語、さらに多くの場合に第四外国語も習う。

筆者の場合、親がポーランド育ちのドイツ人なので日常的にポーランド語も話す。(ちなみに祖母はアルゼンチン人。複雑極まりないのでこの辺にしておこう。)現在日本で研究活動をしているため、ご覧の通りもちろん日本語もだ。

義務教育ではそれぞれの授業科目が違う言語で教えられることがごく普通。授業ごとに使用する言語が違うのである。中学校までルクセンブルク語とドイツ語が中心となっているが、高校に入ってから理系科目が段々とフランス語に変わっていく。もちろん、英語など語学の授業はその言語だけで行う。

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「日常がめちゃくちゃにならないの?」と気になる人もいるかもしれない。確かにめちゃくちゃだ。しかし、めちゃくちゃだから不自由があるわけではない。むしろ場面や相手に合わせて一瞬で言語を切り替えられることが、ルクセンブルク人の特徴である。例えば、買い物ではボンジュール、家族ではモイエン、職場などではグーテンタークというように使い分けるのだ。

スーパーやレストランで働く人はフランス人やベルギー人が多いため、日頃から店員にはフランス語で話す。金融業やIT業界ではドイツ人が比較的に多く、デンマークやスウェーデンといった北欧の人も少なくない。基本的にルクセンブルク語を必要とする職業は公務員だけである。最近は東ヨーロッパの移民も増加しているので、街ではポーランド語やチェコ語もよく聞く。

「とりあえず英語」の時代は終わった

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この多言語国家ルクセンブルクの話を聞いて、この環境を魅力的に感じる人もいるだろう。「グローバル化だ」と言うかもしれない。

しかしルクセンブルクがこうした環境になっているのは、楽しいからとかかっこいいからという理由ではない。必要性から生じている状況であり、ルクセンブルク人にとっての「当たり前」である。

そんなルクセンブルクの視点から見ると筆者はここ数年の日本の「グローバル」の盛り上りに違和感を覚えている。

「グローバル化に向けてやっているよ」という魔法の言葉による正当化がよくあるからだ。地域の職場をなくし、低賃金の東南アジアに移すことが、まさしくグローバル化の一つの出来事でもある。

それだけではない。英語能力を伸ばすことがグローバル化だという風潮は日本でいまだに根強い。世界中で使われている英語は非常に便利なコミュニケーション手段ではある。しかし真のグローバル・シディゼンになるためには、英語能力ばかりを磨くだけでは不十分だ。

国際的・交流的であることは非常によいことである。しかし「グローバル」という言葉が単なるブランドであれば何の意味もないだろう。

DSCF0292重要なことは、言語によって思考方法が変わること、そして、それぞれの言語が歴史的・イデオロギー的な背景を持つということである。これに自覚的である必要がある。つまり「英語 is 正義」という態度は簡単にアメリカニズムに転換してしまう恐れがあるのだ。

「とりあえず英語」の時代は終わった。英語英語と叫ぶ前に、何よりも自分と自分の国・地域のこと、相手を知ることが大事なのではないか。

より進歩的な「グローバル化」を目指すには、ルクセンブルクとその住民を参考にするといいかもしれない。個性・アイデンティティや摩擦の原因となる異文化を否定してはいけない。だからといって「英語」のように一つのものに置き換えてしまうと多様性が失われてしまい、無意識のうちに一つのイデオロギーに侵食される恐れがある。グローバル化には、多様性を理解し、受け入れることが大事だ。言語もその一つとして捉えてみてはどうだろうか。

 

Photos & Text by Kevin Zaleski

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