Dialog

嫌悪を哲学する。〈深い言葉〉はなぜ不快なのか?

白猫と黒猫の対話、第一弾は「深い言葉」について。「深い言葉」を見たり聞いたりすると、なぜ「くさい!」と思って、「嫌悪」してしまうのだろうか?その理由を白猫と黒猫が対話しながら考えます。

※このシリーズでは、毎回白猫と黒猫が2人で対話します。

なんで「深い」のに嫌悪の対象なんだろう

黒猫(以下クロ)「深い言葉」ってあるじゃない?

白猫(以下シロ)ふかい言葉?

クロ そうそう、スマフォの待ち受けにしたり、ポストカード売り場に並んでいたりするやつ。実際にそれっぽい言葉考えてきたからちょっと出すね。

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シロ うわ、それっぽい(笑)。あるよねこういうの。昨日行った居酒屋の壁にもびっしり貼ってあった。トイレにまで「深い言葉」が一面貼ってあることもある。

クロ こういう言葉って「深い」のに、わたしにとっては、身震いするくらい不快なんだ。

シロ たしかに。全部じゃないんだけど、深い言葉って、嫌悪の対象になることがある。嫌悪する言葉としない言葉の違いって何だろうな。あまりに綺麗な言葉は「くさいな」ってぞわっとする。

クロ なんで「深い」のに嫌悪の対象なんだろう。なんで嫌悪しながら「くさーい」って思うんだろう?今日は一緒にじっくり考えてみよう。

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ルサンチマン?好き嫌いの問題?

シロ ねぇねぇ、この嫌悪の感情って、ルサンチマン?

クロ お前は豊かで経験もあって幸せだからそんなこと言えるんだろう、ヘッ!成功者や強者はいいよなーみたいなやつ?いや、そういう感情とも違う。「あなたの心理状態は無意識ではそうなんですよ」とかカウンセラーに言われちゃ困るけど、でも私の意識の中ではそうじゃないんだよ。

シロ それか、好き嫌いの問題?その言葉が好きな人は嫌悪感を抱かないし、わたしたちは単に嫌いだから抱くだけ。

クロ そういう単純な話でもない気がするんだよなぁ。まだわからないけど、「ルサンチマン」でも「好き嫌いの問題」でもない気がする…。

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「深い言葉」は「哲学」なのか?

シロ よく思うんだけど、こういう巷で見る「深い言葉」、似たようなことを哲学者が言っていたりするよね。たとえばサルトル。しかも彼は「哲学者の深い言葉」とかいってまとめサイトに載りがち。サルトルの言葉を紹介してみるね。

君は自由だ。選びたまえ、つまり創りたまえ。

あなたがたが生きる以前には生は無である。しかし、これに意味を与えるのはあなたがたであり、 あなたがたの選ぶこの意味以外において価値というものはない。

※ジャン=ポール・サルトル 1905-1980 フランスの実存主義者

クロ ほんとだね。ヤスパースも「深い」こと言っている。

もし私が一人だけで存在していたら、私は荒れ果ててしまうだろう。

私が私であることは、私が孤独であるということだ。

※カール・ヤスパース 1883-1969 ドイツの実存哲学者

シロ 中学のころ友だちの携帯の待受にあった言葉と内容は似てるな。「キズナ大切にしよう」とか「あなたがいたからガンバレたんだよ・・・」みたいなやつ。

クロ わかる。カタカナな感じも。言ってることほとんど同じだよね。でも、わたしにとって哲学者の言葉って全然嫌悪の対象じゃないの。なんでだろう。その理由が、一方が哲学者で一方が素人だからということだけでは納得できないなぁ。

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難解な哲学書よりも、「今あなたに響く言葉集」

シロ まず、こういう「深い言葉」をみてみると「インスタント性」が嫌悪の理由として思い浮かぶな。

クロ インスタント性ね。今すぐ役に立つ言葉。人って今すぐ使えるものやすぐに役に立つものを求めがちだからね。

シロ インスタントの方が伝わりやすいよね。ニーチェが書いた本よりも、『超訳ニーチェ』が読まれる。難解な哲学書よりも「今あなたに響く言葉集」が売れる。

クロ 今すぐ使える役に立つ言葉がほしいのは、考えるのが辛いからなのかな?

シロ 考えるのって大変でしんどいし時間がかかるから、ぼんやりしてることをズバッて端的に言ってくれる言葉を求めるんじゃないかな。わたしも名言を集めてるサイト読んだりするし。

クロ なるほどね。

シロ それに、何かについて悩んでいればいるほど、分かりやすく即座にまとまった言葉を読みたくなる。たとえば「幸福ってなんだ?」って悩んでたら、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読むよりも、何かガツンと心に響く言葉を即席で摂取したいって思う。

クロ でも、インスタントだと結局虚しくなる気がする。

シロ なんで?

クロ 別の可能性がかならず出てくるから。「あなたはひとりじゃない」で納得しかけたわたしが孤独な自分に気付いたとき、「あれ?」ってなる。「あなたはひとりじゃない」は、世界の一面的な捉え方に過ぎない。世界の構造を捉えられてない感が嫌悪をもよおすのかなって。

シロ 一面的なものを断定しているからか。違う可能性を認めず、思考が働かなくなる。インスタント言葉は分かりやすくて軽やかだけど、それだけじゃ奥行きや重みを感じることはできないってこと?

クロ 結局人間ってひとりだし、でもひとりじゃないし、複雑な存在。それに向き合って苦しんだり乗り越えたりするのって、すごく人間的な感じだから、なぜお前は一方を断定できるんだよって思ってしまう。

シロ なるほど。

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クロ あと、実際端的に正しいから反論できない。これも嫌悪の理由かもしれない。「ラブ&ピース!!」って謳われちゃ、「そうですね」しか言えないじゃん。

シロ なんだか独善的な感じがする、と。

クロ そうそう、正しいことの主張に伴う上から目線感、教えてやってるぜ感。だから、どこかバランスが崩れて「いやぁ、世界ってラブ&ピースじゃないよ」と思ってしまったときに、自分が間違っていると感じてしまう。「深い言葉」には、正しいからこそ、恐ろしさがある気がする。

理由がみえない

クロ 哲学書ってすごい長いじゃん?哲学者は「人間は孤独である」って言うためだけに一冊の本を書く。様々な可能性を検討しながら、なぜそれをどの観点から言うのか、歴史や経験を踏まえた上で、説明する。

シロ ほんっとうに長いよね。読みながら「早く終わりますように」とさえ思う。

クロ だから、上であげたサルトルやヤスパースの言葉も、私たちが短く引用しただけで、彼らはあの言葉を言うために前後に何百行もの言葉を積み重ねているんだよね。そうなると、「深い言葉」って、哲学とやってること真逆だ。

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クロ 「深い言葉」って、前後の論理性が見えないから発言の理由がわからない。それが嫌悪の大きな原因として思い浮かぶ。

シロ そうだね、文脈が排除されているから、相手がそれを発言した理由が見えない。そうなると、言葉に伴う「責任」の問題につながってくるのかな。
こうして「深い言葉」を見てみると、おおざっぱに二種類ありそう。大丈夫だとか安心だよとか言って相手に寄り添う「ケア」系と、頑張れとかやればできるとか相手を鼓舞する「啓発」系。

ケア:あなたはひとりじゃない
啓発:愛そう、笑おう、俺らの理想の世界に向けて

でも作者がみえない。なにをもって、誰が、この言葉の意味を保証してくれているのか分からない。ひとりじゃないよ、と言われても誰の責任ある発言なのかが分からない。「俺らの理想の世界」と言われても誰がその世界を担保してくれているのか知ることはできない。言葉と作者の距離が遠すぎる。

クロ 見えない相手からこんなこと言われても「言葉の重み」は全く感じないよね。これはその発言者が匿名であるとか、顔出ししていないとかは関係ある?

シロ ネット上でよく見る問題だよね。匿名で顔も出さずに安全圏から発言している人が「何の権利でそんな事言えるんだ」って批判されるやつ。もちろん関係はするとは思うんだけど、それが全てではない気がする。たとえば、名前も顔も出している歌手とかが「ひとりじゃないよ」なんて歌っていても、歌手と言葉の距離を遠く感じることがある。

クロ たしかに。明らかにその歌手が作詞してなさそうな歌ほどそう感じるね。

シロ 言葉の重みは「そこに責任主体が問えるか」ということになるのかな。「含蓄があるか」、「裏付けがあるか」。
たとえば、松岡修造の日めくりカレンダーが売れたよね。彼は「うざい!」や「クサい!」という反応よりも、「熱い!」とか「かっこいい!」とかの反応の方が多かった。なぜ彼は受容されるんだろう、と思うと、彼は自分の生き方を開示して、表舞台に立って、その言葉を発しているからかもしれない。松岡修造の言葉が批判されたとき、その批判はダイレクトに彼にぶち当たる。それほど彼と言葉の距離は近い。

クロ それは、その言葉に自分の実存かけてるかどうか、が問題になってる?

シロ あー、でもだれがそれを判断するんだろうってなっちゃうな(笑)。「Aさんは実存をかけているけど、Bさんはかけていない」って、明確な規範があるわけでもないしね。やっぱり「理由」じゃないかな。

クロ けど修造は自ら理由を言ってないじゃない?松岡修造は存在が理由?

シロ 彼の合理的な行動によってそう判断されている。単なる経験の寄せ集めではないんだよね。

クロ わたしが相手を知ってるかどうかってこと?理由や因果関係がみえたら嫌悪消えるの?

シロ 実際に知り合いとかは関係ないな。因果関係や相手が言っている理由がみえれば、嫌悪は消えると思う。筋道がとおっていれば。でも、くさい言葉はぶつりと文脈を切ってしまっている。

クロ じゃあ、極端なことを言えばポストカードつくった人のところに行って「なぜあなたはその言葉を言ったのか?」を聞いて理由がわかれば、嫌悪はなくなるということか。

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クロ わたしは、相手が「理由の世界」に生きていないから嫌悪するのかなと思ってた。つまり、相手が「論証よりインスタント性のある言葉だろ」って世界観で生きてるということ自体への嫌悪感。

シロ そういう嫌悪感は「お前の世界観ではそうなんだろう」って言われて終わっちゃいそう。言えるのは、「現に事実として、相手が理由を言っていない」ということで、そしてそのインスタント性と責任の所在なさに嫌悪をもよおすんじゃないかな。

クロ ここまでの話はよくわかった。でもなんで?なんで嫌悪しちゃうんだ。

シロ 含蓄や検討、思索を感じることができないから。

クロ うーん。

シロ あー、でもそんなの無視すればいいじゃんって話か。

クロ そうなんだよね、だから、違う世界観で生きていきましょうよって話。けど、そうできなくて嫌悪しちゃう。

同意しているからこそ

クロ あ、もしかして、わたしがそれに「同意」してるからじゃない?さっき「端的に正しいから反論できない」って論点出たけど、ただ「正しい」だけじゃなくて、まじでそう思ってるから。わたしは「あなたはひとりじゃないよ」って本気で思ってる。

戦争でみんなころしていいんだよ

さすがにこれに対しては「え?」ってなるじゃん。

シロ なるほど。スポ根系のくさい言葉を見ても特に何も感じないんだけど、それはわたしがスポーツをやらないからか。そもそもそういう世界と関わりがないので、同意しようもない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA Processed with VSCO with q4 presetそう考えると「嫌悪する言葉」を同意っていう観点で分けることはできるかな。「くさい言葉」と「キザな言葉」に分けられる気がしてきた。

A くさい言葉:部分的に同意できる。
B キザな言葉:ほとんど同意できない。

Bのキザな言葉は、こっちが恥ずかしくなるやつ。で、くさい言葉って「嘘くさい言葉」だ。

クロ あー、くさい言葉のくさいって「嘘くさい」の「くさい」か。
Bのキザな言葉って恥ずかしくなるよね。「君の瞳に乾杯!」とか。そういう言葉に対して「ぷぷぷぷ」ってなるのなんでだろう。

シロ たしかに、キザのほうは、嘲笑の対象だよね。それは、わたしがアプローチできないからだろうな、「なに一人芝居やってるの?」って感じなのかもしれない。またはどうでもいい。

クロ アプローチは、ある程度同意してないとできない。キザな言葉にわたしは一切関係しないから、他人事のように笑えるということか。

シロ そうだね、それに対して、くさい言葉は自分に関係してる言葉なんだ。

クロ じゃあくさい言葉の本とかポストカード買ったり待ち受けにする時はどういう状態の時なんだろう?

シロ その言葉に何か「発見させられた時」かなあ。ある意味共感なんだけど、もともと持ってる考えと合致したというよりも、なるほど!と思えた時なのかも。だから世界観がまだ確定していない中学の頃ってインスタント性のある言葉を大事にしたりするんじゃないかな。

理由を聞けば嫌悪はなくなる

クロ じゃあ、くさい言葉って、どうやったら嫌悪しなくなるのかな?

シロ まず、理由を聞けば嫌悪はなくなる。その言葉の実存がみえて合理的な論証が見えれば。だから、好き嫌いの問題じゃない。「ひとりじゃないよ」っていうことを闇雲に言ってても意味がなくて、それが何でひとりじゃないと言うに至ったのか、そして何でそれが言えるのかっていうのが、たとえそれが納得できなかったとしても不快感は消えると思う。たとえば「こんな経験をして、それを実感したからですよ」とか。

クロ 理由にわたし自身が同意できるか否かの問題じゃなくて、合理的な論証があるかどうか、か。

シロ そうだね。理由を聞いてそれに賛同できるかは問題じゃない。たとえば「ひとりじゃないよ」という言葉の理由を聞いたときに「人間はみんな等しく殺してよい存在だから」と言われたとする。私はその理由に全く同意しないけど、その言葉の背景は理解することができる。そうして最初に見たときに感じたぞわっ、という嫌悪感は消える。
そうしてはじめて「不賛成」とか「反対」が生まれる。これもある種の嫌悪感かもしれないけど、最初に感じたものとは明らかに質が違っている。

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クロ なるほどね。あと、くさい言葉はこころ揺さぶるけど、それは感情に訴えてるにすぎない、とも思う。哲学者の言葉と違うのはそこかな。彼らは理性に訴えるから。

シロ でも、むこうの目的は感情に訴えることなんだから「はい、理由を教えて」っていうのは野暮な行為になり得るよね。

クロ でも彼らがそれをたとえば芸術作品という形にして感情に訴えていない限り、つまり、言葉をつかう限り、その言葉に責任とるべきだとも思うんだよね。

シロ 「言葉は感情に訴えちゃいけない」ってことではないよね?

クロ 個人的には人に伝えるためには「ちゃんと考えて理由言えよ」って思ってしまうけど、でも、感情に訴える言葉がダメとか正しくないとまでは言えない。

シロ そうだね。「言葉の機能としてそういう性質をもつはずだ」まではいえると思う。

考えられなかった新たな問い

A 芸術作品としての「言葉」がある。文学や詩だ。多くの文学の場合、登場人物やその相関関係、ストーリーは読者に合理的に理解される。一方で、「詩」は「くさい言葉」と区別がつきにくい。SNSで見られる「ポエマー」がつくるポエムは、詩なのだろうか。
▶︎名作と言われる詩と「くさい言葉」の違いはなにか?

B 「くさい言葉」に合理性はない(「詩」もそうかもしれない)。その言葉はインスタント性を持ち、感情に訴える。しかし、これまでの話からしても、その言葉が無意味だとまでは言えないだろう。
▶︎合理性のない言葉は無意味なのか?

C 単に感情に訴えかけるだけの「レトリック」というと中身がなくてよくない感じがする。しかし、ただ合理的に書かれただけの言葉が人の心を動かし、行動を変えるものになるのだろうか。理性を使って深く考えられていて、それでいて心を動かす言葉というのもあるのではないか。
▶︎深く考えられた言葉と「レトリック」の関係は?

 

白猫  ながいれい

大学院哲学研究科在籍。
はい哲学科研究室です

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黒猫 伶奈(nebula)

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