Dialog

インスピレーションとは何か? ロックンローラーとの対話 後編

何か新たなアイデアの着想のことを、インスピレーション(霊感)と呼ぶ。この言葉はもともと、神の息吹を受け取るということを意味する。

インスピレーションとは何なのか。この問いを前編の議論を踏まえながら、音楽制作の現場から考えてみよう。

Photo by Jim Trodel

努力しない天才は存在するか?

汐崎 これまで力みによる創作を中心にして創作について語ってきたのですが、力まない創作もあると思っています。
アーティストには、力むタイプと、力まないタイプがいます。力まない仕方で、つまり、自然な流れで新たなものを生み出すことができる人がいると思います。

岡田 それはわかる気もするんですが、ちょっと天才神話みたいな感じもするんですよね。推敲をしない天衣無縫な詩人のイメージみたいなもので、実像とは離れているものではないかという疑念があります。

また自然体を演じるっていう自己演出はよくあると思うんですよね。ナチュラルメイクみたいな。

汐崎 ナチュラルメイクって面白いですよね。自然的なものの捏造ですね。まあ、全く力みがないっていうのは一つの極で、全く力みしかないというのも一つの極と言えるでしょう。実際には、二つの極の揺れ動きや混ざり合いが見られます。

例えば会話の中でも、面白いことを言おうとして面白いことを言うという場合と、ふらっと会話の流れで面白い発言が出る場合があるじゃないですか。
いろんな面白い話の古典を押さえたり、よく吟味したりして、準備されたり、計算されたりしているものと、自ずから見えてくるもの、自然と口が動くものがあります。

岡田 なるほど。そう考えると、欲求による行為が自然的に起こるだけではなく、理性にしたがう行為も自然的に起こることがあるわけですね。

単に食べたいというような欲求と、食べたいけど他の人と分かち合った方がよいという道徳的な判断に従う意志は違いますが、共に自然的に起こることがあります。

また理性的な行為も反復されたり、習熟すれば、第二の自然になりえます。

いわば道徳における自然体というものがあるわけですね。芸術における自然体と同じように。それに対して、力むタイプを、自由体と言うこともできるでしょうね。

汐崎 「自由体」っていう言葉は面白いですね。

岡田 道徳における自由体の立場は、意志の力で欲求をコントロールすることを重視して、流れに乗ることよりも、自分を常にチェックして管理することを重視するタイプですね。カントの立場なんかはこれに近い。

したいという欲求や気分の傾向性を切断して、こうするべしという理性で統御する立場。

それに対して「美しき魂」というようなことを言う人たちは、道徳における自然体の立場で道徳的な行為も自然な流れの中で行うという気分と徳性が結びついた心の発達を大事にする立場ですね。

「心の欲する所に従えども矩を踰えず」(自分の心が求めるままに動いても、正しい道から外れることがない)という晩年の孔子の境地は、自由体による修練を通して、理性的な自然体に達する道なのかもしれませんね。

汐崎 音楽でも、自然体を通して、動物的自然に対する高次の段階としての創造態に至る道と、自由体を通して創造態に至る道があるでしょうね。

自然体が中心の人は、受動型のアーティストで、自分のいる場とのチャネリングが優れているのに対して、自由体が中心の人は、能動型のアーティストで、場への働きかけが上手いとも言えるでしょうね。

いずれにせよ、究極的にいたるところは、自然体であることが自由体であるところでしょうね。自由の実現としての自然な流れというところですね。

岡田 あんまり究極的な完成の境地を語るよりも、力みを通して自然な流れが創造され、再びそれを解体する力みの段階が来るというサイクルを重視したいという感はありますね。

汐崎 そうですね。

障害が創造のための力になる

岡田 汐崎さんは、音楽を作っているわけですけど、もう少し具体的に制作について教えてもらえますか。

最初から何かを作ることはできないじゃないですか。模倣とか、これまで確立された技術の習得とか、そういうものと創作の関係はどうなっていますか。

汐崎 まず既存の型、ないし道を模倣するところからですね。例えば既存の他人の曲をカバーする。最初、模倣はまあ失敗しますよね。受け取る能力がない、耳が出来ていないんです。歌が下手な人がいますけど、聴けていない んですよ。頭の中のイメージを聴いているだけです。楽器もそうです。

とにかくできないなりに食らいつくしかないですね。自分を型に慣らしていきます。

岡田 なるほど。

汐崎 コピーバンドの演奏だと、演奏できないのに時間の経過だけでやったことにするというのがあります。 弾けてない部分やごまかした部分があるわけです。
曲のよさがわからずに、曲の味を生かせずに、自分のイメージで補っていしまいます。力んでいるばかりです。まさに捏造ですね。

岡田 成功した模倣というのはどういうものですか。

汐崎 とにかく何度も食らいついて、リスタートしてその曲に向き合ったり、別のものに移行したりしながら、自分なりの形で曲をものにすることです。再構築して、自分の味を出せることです。

岡田 創造的な模倣という感じですね。コツというか、その曲のコアを掴むということですね。

汐崎 持ち味を理解することができていないカバーを「原曲レイプ」と言いますが、これは我を主張して、元の曲を塗り潰してしまいます。

それに対して、創造的模倣の場合は、型の破り方やアレンジの仕方が、カバーする自分からというより、むしろオリジナルの曲から出て来るんです。

岡田 なるほど。茶道や武道とかでいう「守破離」みたいなものを思い起こしますね。「守破離」というのは、型を身に付けて(守)、それと向き合う中で、よりよい型を生み出すことで既存の型を修正し(破)、型にとらわれない自在の境地に至る(離)という流れです。

Motion by Takashi .M

Photo by Takashi M.

汐崎 それはわかる部分もありますが、普通にバンドをやっている場合、師弟関係とか、相伝とか、流派の修行の階梯などに当たるものは、弱いと思います。自由な取捨選択の中での模倣が出発点となります。

武道や芸道が「守」として最初の段階の受動性を特に重視するのに対して、バンド音楽では、技法も精神も同時に教えるような師匠がいないことが多いので、最初から能動性が求められることになります。

岡田 なるほど。その差異は面白いですね。
それでは、新しい曲を作る場合はどうですか。作曲や作詞は模倣が9割だとも言われますが。すべて、これまでのパッチワークとかコラージュとか、複数の形の結合であると。

汐崎 うーん、僕はあんまそうは思わないですね。魅力的なものとして感じる作品は、新しいものですね。そこには、これまでなかったパターンがある。

岡田 まあ一般的に言って、要素の総和と、新たに生まれた全体の内的質は異なりますよね。質的に新しいものが生まれるわけですね。

例えば、スイカに塩をかけると甘さが引き出されます。そこで生れる印象は、それぞれの材料の味の単なる足し算ではないわけです。結びつきの中で新しい質が生れます。

汐崎 そうですね。

もちろん、これまでのもの(さまざまな伝統の様式、時代の様式、これまでの自分の様式等)の結合の中で、新しい型が生まれるわけですが、そのときには、これまでのまとまりが千切れていて、新しい自然的な秩序が生まれているんです。

作品は一つの個性的な宇宙のようなものだと思っています。それ自身の独自の秩序をもって自己発展していく。

Mandala by Luciano Nobre

Photo by Luciano Nobre

一方、作品を無理に制作することもできると思います。ひらめきはないけど、無理くり完成させる曲。既存の技巧だけで器用に作ることもできます。最初から器用すぎる人はそれなりに上手くやれるばっかりに、逆に本当の達人になれないことがあります。

多分なんでもそうなんだろうと思うんですけど、後々突き抜けてくる人っていうのは元が不器用だったりするんですよね。

そこで苦しんで力んだりしている中で、これまでにはなかったスタイルに突き当たるということだと思います。新しい自然に行くためには、人為的な足掻きが必要になることがあります。

岡田 なるほど。ぬるぬる思うように動くことができてしまうと、連続的に進んでしまい、これまでとは異質なスタイルへの非連続的な飛躍が起こりにくくなるということですね。

思うように動けない、行く先もわからない、という苦悩と錯乱の経験が創造にとって重要な条件となることが多いわけですね。障害や歪曲が力になりうると。

一つの宇宙を創造すること

岡田 これまで新しい型という話をしてきましたが、それは具体的には何のことですか。
作品には、表現内容表現形式があると思います。

表現内容というのは、ストーリーとか人物とか思想とかいうものですね。誰々への恋心を表現するとか、人生における虚無感を表現するとか。

ですが、それと同時に、表現形式が重要ですね。見せ方とか、演出の仕方ですね。カメラワークとか、転調の使い方とか。浮遊感の表現の仕方とか、同一の空間上に異なる二つの時間の流れが存在するとか、ある空間に異界が侵食している仕方とかそういうものです。
それに、逐一思想的な意味とか、内容的な意味を求めても、違うんですよね。

汐崎 映画とか見るときに、ストーリーばっか見ていて、演出を見ていない人っていますよね。僕は、ストーリーがくだらなくても、演出が面白ければ楽しめるタイプです。

岡田 新しい曲を作る場合、どちらが重要ですか。

汐崎 僕は一つの曲が新しい型であると思っています。そのとき、コアになるのは、表現形式の方が多いですが、それは内容と結びついているし、分離できないというのが理想だと思っています。しかしそれは同一ではなく、一致しないこともあります。

僕は表現形式をテンション(緊張関係)と呼んでいます。それは単なる形式ではなく、内容を含んだ形式のことですね。様式とかスタイルとかいうものです。

岡田 水戸黄門は様式美と言われますけど、決まった時間に印籠を出すみたいな内容的なことを含めて様式と言われているわけですよね。

汐崎 そうだと思います。

僕は、新しいものを作る上での根本は、距離感だと思っています。新しい曲のコアは、新しい距離の取り方なんですよね。

岡田 何との距離の取り方ですか。

汐崎 必ずしも明確にわかりませんが、一つには過去の自分との距離でね。新しいものを作るときの力み方の技法としては、例えば制限を掛けるというものがあります。自分が普段使っている癖を分析して、それを禁止するとか、ある特定の音を中心に使うとか。これまでとは違うやり方にずらしてみます。

このような過去の自分のやり方との新しい距離の取り方が、そのまま作品の様式なのです。

新しい様式を作るのには、勢いが必要なんです。情熱なしに成し遂げられた偉大なことはないと言われます。そういう意味で、力むことは、回転によって混濁している二つの液体を分ける遠心分離機のようなものです。二つの液体というのは、内容的な意味でも形式的な意味でも新しいものと、古いもののことです。

古いやり方やこだわりを今の自分から引き離して、それからのとらわれを脱する必要があります。その作業では、単に勢いによって回すのではなく、タイミングよく回す必要があります。

そして遠心分離機の回転が最高速度に達するとき、新しい様式がふわっと現れてきます。

新しい様式というのは、古いものを切り捨てた新しいもののことではありません。それは、二つに分離された新しいものと古いものとの緊張関係(テンション)のことです。

岡田 なるほど。回転のイメージは、力みが岩に堰きとめられた河川の渦巻きに例えられたのにも関連していますね。

汐崎 はい。新しい様式は古いやり方との距離感だと言ってきましたが、それとともにテーマとの新しい距離感だと思います。例えば、好きっていう感情を好きって言葉で表現しても違うわけですね。そこで直接的なものを間接的なものに変える。この直接的なもの、そのまんまのものからの距離の取り方が、うまく見出されると、新しい様式が出来上がる気がするんですよね。

これは、内容上のテーマだけでなく、形式上のテーマとも同じです。浮遊感の表現という形式を、実際の曲の様式に変えるには、適切な距離が必要です。

岡田 その距離はどうやって見いだされるのですか?

汐崎 力み型、つまり自由型のアーティストの場合、複数の距離の取り方を試行錯誤する、さまざまなずらしを通して無数の線を引くことになります。この線は、離れたいテーマとしての点と、それからどこまで離れるのか、どの方向に離れるのかという仕方としての点との間に引かれるものです。

その中で、ピタッとハマる、線が引けることがあります。
そこで現れているものをひらめき、ないしインスピレーションと呼んでいます。自分でないものによって自分の道が開かれるという感じです。

もちろん自己ではないものといっても外から石をぶつけられる場合のような単に外的なものではなく、自分の内的なものと結びついて現れてくる世界の動き方みたいなものだと思っています。

ここで見える様式は作品宇宙のコアだと思います。

作品は、独自の秩序をもった一つの個性的な宇宙であり、インスピレーションは、一つの宇宙の開闢(始まり)だと思います。それは今後の発展の見通しを胚胎した宇宙の種子、宇宙の卵です。

それは独創的な創造であるとともに、私たちの生きている場としての現実の宇宙の一つの表現であり、現実の宇宙に対する距離の取り方でもあります。

Inspiration by GPS

Photo by GPS

岡田 なるほど。これまでの話と繋げれば、ひらめきが、距離感としての新しい関係性の開示を可能にするわけですね。そのような関係性は、力み型、能動型のアーティストの場合は、力みながら複数の距離の取り方を描画する中で、ひらめきによって力みが否定されることによって、開かれるわけですね。

汐崎 ええ。そしてひらめきが起こった時、作品の見通し、設計図が出来上がるとともに、これまでの作品の中に潜んでいた自分の型や癖を相対化して認識することができるようになります。

全体のデザインと細部のデザインの間にはフィードバック関係があるので、設計図は作っていく中で変化していますが、基本的な型はしだいに固まっていきます。

そして、その型のもとでの創作が完成する段階に至ったら、その型を破らないといけないというわけです。もし創造性を求めるならば。

今回の対話から出てきた問い

岡田 今回の対話はこれで終わりですが、この対話の中で見えてきた新しい問いはありますか?

汐崎 一つは制作にかかる時間についてです。曲と歌詞が一気に仕上るときもあるんですが、曲ができた後、なかなか歌詞ができないこともあります。一挙に全体ができた方がよいのか、それとも、部分ごとに段階的にできるというのにも、何か価値があるのかということが気になりますね。

もう一つは、デモ音源本番の音源についてです。本当に勢いがあるのはデモ音源なのではないかと思うんですよね。最初の形であるデモ音源は、生き生きとした制作段階の息吹を表現しているのではないかと思います。
本番は、再現になるわけですが、ゆっくり頂上まで山登りにしたのに、2回目にヘリコプターでそこに乗り付けるというような感じがします。

ここでは、デモ音源と本番の音源に通底する作品の様式と、デモ音源も本番の音源もそれぞれの固有の歴史的経緯や個別的な形態を備えているという意味での個物としての作品の違いが問題になると思います。作品としての力は、個物としての作品にあると思います。